レポート日記
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開催日:2024年03月23日
通常授業
日本史は教科書で学ぶもの、そう考えていませんか?
福岡の歴史をどのくらい知っていますか?
本日の授業では歴史的事実が起こった場所や歴史的資料が展示してある博物館へ行き福岡の歴史について学びました。
今回は福岡市早良区の西新駅から徒歩7分程度の場所にある、元寇神社という場所に集合しました。私は福岡に住んで20年で、西新に行く機会も多かったのですが、こういう神社があるということも知りませんでした。
参加者が集まったところで福岡市博物館学芸員の米倉先生が元寇防塁の前で元寇について解説をしてくださいました。
鎌倉時代、元(モンゴル帝国)は2度にわたり日本に侵略することを目的にやってきました。1回目の襲来で日本軍に多くの死者がでたため元寇防塁がつくられました。
2回目は海戦が主で長期戦だったら九州は侵略されていた可能性がありましたが、暴風雨(後の時代に神風と語られた)により元は撤退。
3回目も予定されていたそうですが、様々な経緯で断念され日本は滅亡を免れました。
教科書で知っていた元寇も、実際の場所で解説を聴くことで、当時の様子を想像することができました。元寇防塁の近くには当時、砂丘があったなど知らなかったこともあり、歴史は東京や京都や奈良だけのものではなく、身近にもあるのだということを感じることができました。
そして、元寇神社から福岡市博物館へと移動し、米倉先生のお話を聴きながら、常設展示室を歩きました。
元寇の話ではありませんが、福岡市博物館には金印が展示されています。福岡市民は気軽に見に行ける金印ですが、米倉先生いわく「金印は他県で展示されたら多くの人が並んでみる」そうです。改めて見る金印は小さいながらも大陸との歴史を感じさせるオーラがありました。
福岡は、鴻臚館などを通じて大陸との交流が盛んであり、残された器などの輸入品がその証拠になっています。博多や太宰府は日本にとって重要な場所であったため元にも狙われたのではないかということでした。
元寇についての解説の中で、私が心に残ったことが2つあります。
1つ目は蒙古襲来絵詞の歴史的価値です。
後の時代に絵が描かれた源氏物語とは異なり、蒙古襲来絵詞は戦いのすぐ後に描かれたものであるため、その当時のリアルな甲冑や武器などが描かれているそうです。そういった目線でみたことはなかったので、今度ゆっくりと見てみたいと思いました。
2つ目は元と戦いをしていた時も民間、商売では交流があったということです。
その当時から商人はたくましかったのだなと思いました。博多は商人の町と言われていますが、その根本が見えたように思います。上から押さえつけられてばかりではない庶民の力を感じました。
その後、今回の授業で学んだことをグループワークで発表しました。私は感じたことは「自分」と「歴史」のつながりです。もしも、元との戦いに私の先祖がいて、死んでいたら今の私はいなかったかもしれません。
様々な歴史的事実が重なり、「今」があります。「今」が歴史になるころ、未来では「今」はどのような見方をされるのだろう。そんなことも思いました。
歴史を身近に感じられ大変充実した授業でした。皆さんも地域の歴史をもっと身近に感じてみませんか?
<STAFF>
Report:野田 真紀子
Photo:濱砂 純子
Staff:角田 真悠(学生インターン)
【今回の授業のコーディネーター】
![[大人の社会科]博物館に潜入!日本を滅亡から守ったモノとは!?](https://tenjin-univ.net/app/wp-content/uploads/2013/02/staff-0_1-200x267.jpg)
岩永 真一
1981年、福岡市生まれ。就職氷河期世代で内定ゼロで大学を卒業し、アルバイトで社会人を始める。大学卒業前より、まちのそうじをするgreen birdに参画。その後は広告業界でプランナー/ディレクターとしてサラリーマンをしながら、福岡・天神エリアのまちづくり団体にも参画。27歳で脱サラして独立、28歳で福岡テンジン大学を立ち上げ学長を務める。31歳より複数の組織に所属する複業家の働き方を始める。現在は、人材育成・教育・まちづくりや、複数の企業の経営支援など、複数の組織で複数の職業を実践する複業家。2017年、福岡の歴史絵本「のったよ!ふくおかタイムスリップ号」をプロデュース・脚本担当し発刊。2025年よりKBC「ぎゅっと」の第3月曜コメンテーター。