レポート日記
一覧に戻る[天神朝キャンパス] そこは九州一の都会“天神” ~はじまりからの軌跡に触れる編~
開催日:2013年05月22日
天神朝キャンパス
【特別授業】 天神朝キャンパス
この授業は、天神を安心・安全・快適な街にしようと活動する「We Love 天神協議会」と一緒に進める特別授業です。天神の新たな朝の魅力を発掘するために始まりました。開催日は、毎月第3水曜日。出勤途中の方も、お休みの方も、天神の朝を楽しみませんか?
We Love 天神協議会 : http://welovetenjin.com/
<授業の流れ> 授業コーディネーター:岩永より
梅雨前の澄み渡った空の下、
5月の天神朝キャンパスは、天神の地名の由来でもあり、
福岡大空襲でも焼けなかったという「水鏡天満宮」で開催しました。
※福岡市中央区役所が作成のまちあるきMAPが本日のテキスト
福岡歴史探訪ガイドの井上先生より、
江戸時代に水鏡天満宮がこの地にやってきた話からはじまり、
福岡城の話、明治を迎えた頃の福岡の話、
その後、福岡の街を発展させようと尽力した
渡辺通りの名前の由来になった渡辺与八郎さんの話、
などなど、いろんな点と点が繋がり、福岡そして天神が
発展していくその土台ができていく話を聞き、
参加者同士で天神との心の距離や、どれくらい天神に対する
自分の中での点数が上がったかを話し合ってこの授業を終えました。
<参加者レポート>
生まれ育った長崎を出て福岡に移り住み4年目になる私にとって、
天神は憧れの街から生活する街になったものの、
その歴史やルーツを知っているようであまり知っていませんでした。
例えば今回の会場となった水鏡天満宮が菅原道真公に縁があることや
天神という地名の由来になっていることくらいは承知していましたが、
それが一体どのような経緯だったのかまでは把握していませんでした。
大学の1限よりも早い時間、若干眠気の残る朝キャンパスでした。
しかし井上先生のお話は建築や都市計画、まちづくりを学んできた学生にとって
目が覚めるような内容が続きました。
水鏡天満宮が四十川(薬院新川)の畔に建立されたのち
黒田長政の命により福岡城の鬼門となる現地への移転によって天神の地名が付いたことや、
水鏡天満宮と太宰府天満宮を繋ぐアクロス福岡の1階部分の設計プロセスなど
初めて知る事実に胸が躍りました。
近代の歴史としては明治期からの交通網整備や福博大都心構想、
九州大学誘致などに尽力した渡辺与八郎についてもお話を頂き、
現在の天神の基盤となっている部分の歴史に触れることができたと思います。
今回、井上先生のお話や同じ参加者の方々とのやり取りを通じて、
自分が暮らす街について知っている気になっていたことに気付きました。
これをきっかけにより深く天神について興味を持ち、
より注意深く目を向けてみようと思いました。
(福岡テンジン大学学生 よりより)
【今回の授業コーディネーター】
【今回の先生】
【今回の教室】
住所 : 福岡市中央区天神1-15-14